EUROPE-KIKAKU 1st

theatre

スーパークリエーター集団

今回のコラボ相手はMEGUMIが出演する舞台「続 時をかける少女」の脚本と演出を手がける上田誠氏が代表をつとめるヨーロッパ企画!!
ドラマや映画の企画のみならず、フェスやラジオ、アプリ開発まで何でもやってしまう唯一無二の劇団。
そんなスーパークリエーター集団ヨーロッパ企画とMEGUMIの対談を2回に渡ってお届けします。

MEGUMI(以下M) まず私の話をさせて頂きますと、舞台をやろうと思ったのは子どもができた時なんです。
約1年間、仕事を休んでいる状態だったこともあり、本当にやりたいのは何かな~と考えたらお芝居がやりたいって!

それから毎年、1~2本出演させていただいているんですけど、今まではちがう世界にお邪魔しているという気持ちがあって…。

でも、ヨーロッパ企画の舞台はそれとはまた違う、デザイナーとか、テレビの放送作家の人たちとか

自分の周りに居る人達と匂が似ていると感じたんです!!

すごい上からの発言になるんですけど、すごくしっくりというか、初めての感覚でした。

全員 うれしいなー。ありがとうございます。

諏訪雅さん(以下S) 演劇でそんなことなかったんですか?

M はい、なかったです。笑 もうやみくもに掴むようにやっていたので。だから今回はなんでなんだろうと。

作品を含め、この空気感は?と。それを紐解いていったら、ラジオやっていたり、フェスをやっていたりと、いろんなことをやられていて。。だからなのか〜と驚きと喜びが一緒にきました!

そもそも、ヨーロッパ企画の立ち上げは同志社大学の…?

S そうですね。学園祭の時に永野(宗典)くんとの二人芝居を書いてよって、上田(誠)くんにお願いして。

M 上田さんが脚本をかけるって知っていたんですか? なんで書けるんですか?

S 知っていました。上田くんは高校生の学園祭でも書いてたんで、それを読ませてもらって。

上田誠さん(以下U) 高校生の時にパソコンでゲーム作ったり、豆本を作ったり、音楽作ったり…カラダを動かす以外のことはなんでもやってたんです。だからクラスの人からもオタクっぽいやつなんだけど、何か作ると面白いものを作るって思われてて。その流れで、学祭の時に、クラス劇の脚本・演出を任されたんです。それが2年生の時だったんですけど、3年生の時にもやったら味を占めたっていう(笑)。

M ということは、最初からウケたりとかの評価があったってことですか?

U そうなんです! それまで自分は中学の時から、音楽やゲーム作ったりしていたけど、どれもうまくいかなかったんです。

でも、お芝居は割と自分の中で「あれ、けっこう書けるんじゃない?」と思って。ゲームを作っている時は、プログラムを書いても書いてもエラーになって動かないし、悔しくて、泣いてたりしたんです。

M え、泣いていたんですか? 失礼ながら…かわいい~(笑)

S しかも誰にも頼まれてないんですよ。一人でやって悔しくて泣くっていう(笑)

永野宗典さん(以下N) やめたらいいのに(笑)

U しかも、勝手に締め切りまで設けてましたからね(笑)。出来たとて、当時はネットとかもまかったからシェアすることもできないっていう。クラスメイトにやらせてもあんまり興味ないなってなって(笑)。でも、演劇はみんなを巻き込んで、うまく書けて、しかも喜んでくれたっていう。

S エラーも出ないしね(笑)。

U だからパソコンの緻密さを考えると、伏線を張るのがなんの苦でもないっていう。その時には演劇やろうと思ってて、それで大学を選んだと言っても過言ではないぐらい。

M 同志社の演劇は盛んだったんですか?

U そうですね。同志社や京大、立命館など、いくつか盛んな大学があって。観に行ったりしていたんです。

N 京都は学生の街なので、高校生の時から交流があったんですよね。

U 大学もう入る時にもう早いところ自分の劇団をやりたいっていう野心とかもあったから、だから脚本も持って行ったりしてたんです。本当はもう少しメインストリームの先輩とかもいたんですけど、たまたま入ってみたら全然メインストリームじゃなかったんですよ。

M 諏訪さんが?

S はい、もう全然中心にいなくて、小道具とかで参加してて、メインストリームの先輩とかがいじってるんです。

U 演劇にもやっぱり派閥とかもあって…。

S 僕はそこに全然馴染めず。

M それが俗に言う、さっき私が感じていたような、「THE演劇!」っていう。

演劇やりたいけど、メインストリームになんとなく違和感もあって集まったのがヨーロッパ企画?

U ほんとそうかもしれないですね。だから、AとBテーブルがあったとしたら、メインストリームの先輩方はAテーブルで仲良くなってて。今でこそ石田はBの顔してるけど、当時はA思考! だからイケてる先輩方と仲が良かった。

M B顔?!(笑)

石田剛太さん(以下I) でも永野さんもAでしたよね?

N 僕はAでもなかったかな。AでもBでもない、どこにも属してないって感じかな。

M そんなところからヨーロッパ企画が始まったんですか?

U そうですね、でも第一回の時は名前がなかったんですよ。2004年だったかな、土佐(和成)が来たんですけど、えらいイケてるやつがきたなって感じだったんですよ。

I 永野さんだったかな。どう思いました?って聞いたら、カラーじゃないなって言ってたんです笑

N 東京の結構有名な劇団のオーディションを受けまくってたし、「後からきよったな」っていうのもあって。

どこでもよかったんだなって思ったんですよね 笑

M でも、土佐さんは一回落ちているんですよね?

I そう、審議した結果、一回見送りましたね。

U 怖かったんですよ。僕らは基本的にBなのでAのやつがきたなって。

M 土佐さんはなぜヨーロッパ企画に来たんですか?

土佐和成さん(以下T) 舞台を観たことあったんですけど、会ってみないと分からないと思って会ったら、まさにこの三人(上田、永野、諏訪)ですよね。今でこそ小綺麗ですけど、ほんとにB中のBというか…。次から次へとおもしろいことを言うんです。芸人さんでもない、訳わからん人らがすごいおもしろいことを言うっていうのにすごいショックを受けて。「残念ながら今回はご縁がなかった」っていう連絡をもらった時に、さらにカルチャーショックを受けました。「じゃーもう劇団員じゃなくていいんで、お手伝いさせてくださいって」上ちゃんに言ったら、上ちゃん人がいいんで、「まーまーそれやったら」と。

M そうやってみなさんが自分の持ち場以外のことをやるようになってクリエーター集団になったんですか?

U そうなんですよ。諏訪さんも役者隊っていうよりチラシ作ったりもしてて。

N 上田と諏訪の2人が割とクリエーター気質だったので、自分らで映画撮ったりとかの動きが盛んになっていったのかな。

M そんな感じでやってたら、第1回公演から評判が良かったってことですよね?

S 僕の中では、大学で演劇やった3年間の中でこんなにウケるんやってくらいウケて。笑いと拍手がすごくて、びっくりしました。

M 『ヨーロッパ企画の本 我々、こういうものです。』の本の中では、2本目以降はあれ?っていう時もあったって書いてありましたよね。

U 野外劇をやってみたら、テントが風にやられて声が聞こえなかったり、そうゆう初歩的ミスはありました。

でも、高校の時から脚本を書いて、お芝居をやっていますけど、第一回公演もそんなにやってることは変わらない。

大きく変わったっていうのもないので、過去を振り返って恥ずかしいっていうのはないんですよ。

M へーそれって結構珍しい気がします。いい意味でずっと変わってないってことですもんね。

本広克行監督がいきなり映画化しましたよね? 思いもよらなかったですか?

U もちろん、思いもよらない出来事でしたね。

N 2003年の「サマータイムマシン・ブルース」という作品を観に来てくれていたんですよね。

I 上田くんが聞いたんだよね。本広監督が観に来てくれて映画化したいって言ってるって。

S 正直ドッキリだと思いましたよね。偽物に騙されているって。東京は怖いな、そうやって搾取されていくのかなって(笑)。

M 確かにあまりにもポップすぎるかも…。

U 本広監督の作品は好きで観てたんですけど、その時は『踊る大捜査線』シリーズの監督で。10代の頃観ていて好きだった「僕たちのドラマシリーズ」(フジテレビ)の「17才」も本広監督だったりして。

M 好きな監督が映像化してくれるって、すごい嬉しいことだったんじゃないですか。

U そうですね。嬉しかったです。映画ってこうやってできるもんなんだっていう。

M 逆に「辛い!やべぇー」と思っていた時とかあったんですか?

N 映画化が決まった翌年の2004年かな…。名古屋で初日の作品だったんですけど、脚本が間に合わなくて役者だけでごめんなさい公演を、コントライブをやりましたね。

M パンクしちゃったんですね。

U はい、パンクしましたね。辛くて、メンバーに背中をさすってもらって書いてました。

I そういえば、最近全然さすってない。30代後半からかな? 結婚したぐらい? あー奥さんがさすってるんだな!

U 2006年以降に会社を立ち上げて形になってきて、僕がつぶれたら終わりじゃなくて、他の人も脚本を書いたりする体制に。最初の頃は、僕が書いてみんなが出るという分かりやすい体制だったんですけどね。

S 当時は、上田は仕事してるけど、僕らゲームしていましたね。そうゆう時代もあったんですよ。

M 待ちしかないっていうのもつらかったと思うんですけど。

I だから背中ぐらいさすってあげてた(笑)。もうずっと書いてるから、風呂入ってなかったりするんですよ。なんでギトギトのやつをさすらなきゃいけないんだって。で、諏訪さんに相談したんですよ。「上田は背中をさすれば本を書く機械だと思えばいい」って(笑)。結構しんどいんですよ。お互い30超えたおっさん同士が背中さするって(笑)。

S ポーズではなくて本当にさすりますからね。

I しかもエスカレートするんです。

M え、どうゆうこと?

I 最初は背中をさするんですけど、そうすると今度はひざをこうやってくれっと。それから耳を温めてほしいって。それがちょっと辛いんです(笑)。

M それをやってもらうと本当に筆が進むんですか?

U それが進むんですよ。なんかの本で、井上ひさし先生が『ひょっこりひょうたん島』を書いてる時に奥さんが毎晩足を湯もみして書かせ続けたっていうのも読んで。でもそれは奥さんだから。でも劇団員っていうのはなかなか…ねえ(笑)。

次回に続く。。

【ヨーロッパ企画 プロフィール】

98年、同志社大学演劇サークル「同志社小劇場」内においてユニット結成。00年、独立。
本公演では、代表・上田誠の作・演出による、トリッキーな劇構造と非日常的な設定、TVゲームを思わせる独特の「地形」の中で、
冴えないキャラクターたちがモソモソと群像会話を紡ぐ、といったスタイルのコメディを展開。
創作のベースを京都に置きながらも、全国へと意欲的に舞台作品を発信し続けている。

05年夏にはヨーロッパ企画の過去の舞台作品「サマータイムマシン・ブルース」が
09年冬には「曲がれ!スプーン」が本広克行監督によって映画化。
17年に上田誠がヨーロッパ企画第35回公演の「来てけつけるべき新世界」で第61回岸田國士戯曲賞を受賞。

またテレビ番組・ラジオ番組・ショートムービーの企画制作や映画祭・フェスの企画運営も行いながら、
メンバーそれぞれも舞台・映画・テレビ・ラジオ番組の出演、Webや雑誌連載等々を行い、活躍のフィールドを広げ続けている。

photographer:Takahiro Takinami