MEGUMI×HIKARU SEINO 1st

フラワーアーティストの
清野光氏と
『花人間』でコラボレーション!




“世界一花を愛せる国を作る”
このコンセプトの基、
花屋『GANON FLORIST』を立ち上げた
清野光氏。


フラワーアーティストとして
国内外で活動しながら、
平和を伝える作品として
頭に生花を飾る『花人間(HANANINGEN)の
活動を始めます。


今回はその『花人間』の作品を
共に作りました。





ヘアメイク、スタイリングが終わった後、
その場で頭に活けて完成しました。


清野氏は、
『花人間』をはじめとする
植物を使用した作品を通して、
平和、自然との共存を伝えています。


そんな清野氏の人となりに触れられる
スペシャルインタビューを前後編でお届けします。


-ミュージシャンからフラワーアーティストになったと伺いました。


はい、夢見るパンクロッカーでした。
今でも曲を作っていますし、
レコーディングもしています。
北海道にある店舗『GANON FLORIST』で
流れている音楽は
僕が作ったものだったりします。


フラワーアーティストへの転身は
何がきっかけだったのですか?


音楽は熱中してやっていて、
大きなステージに憧れていた時期でもあったんです。
ただ、社会的メッセージが強すぎました。
それは幼少期からなのですが、
ピュアすぎたというか……。


少年のままに、社会に訴えたいことがたくさんあって、
でもそれがうまくいかなかった。
話が合う人がまったくいなくて、
自分の作品を誰にも受け止めてもらえなくて、
そんな状況に心が追い付かなくなっていったんです。


そんな時に、朝方の公園で木に向かって
「大きくなったな~」と話しかけているおじいちゃんがいて、
はじめは寂しい人なのかなと思ったりしたんですが、
「いや、これはものすごく優しいことなのかもしれない」と。


木1本でも大事にできる方なのか、
本当に寂しい方なのかなという疑問が出てきたときに
優しくなるってどうゆうことかなって。

自分のなりたい大人像っていうのを考えたときに
優しい人になって人間的に成功するのか、
それとも、ビジネスを学んで社会的に成功するのか。


「自分は何になりたいの?」ということを
絵でいろいろ書いたりしていた時期に
東日本大震災が起きたんです。


助けに行く大人の姿、脱原発で争う大人の姿を見て、
誰も地球の話していないことに気が付きました。


自分の責任のためだけに生きていると感じたし、
一方で、自然と人間の話は違うと思うところもあって。
誰かが植物のことを伝えていかないと思ったのが
フラワーアーティストとしての活動を始めた
第一歩だと思います。


-いろんなタイミングが重なった感じですね。


東日本大震災が最終的なきっかけになって
いろいろと教えられたと言いますか……。


これも何かの縁だと感じて、
生物と携わる仕事がしたいと思ったんです。


そのときは、動物園や水族館で働くか、
庭師か花屋という選択肢しかないなと思っていて。
フラワーデザイナー、
フラワーアーティストという職業を知らなかったし
存在しないのだろうと、勝手に勘違いしていました。


そこから自然のこと学びたいと思い、
カナダに行って山に登ってみたり、
現地の花屋で働いてみたり。

-自然を学びにカナダへ行ったというのはすごいですね。


運よくファッションデザイナーの方に師事でき、
いろんな方に会って話を聞いていく中で
思考がフレキシブルになって開花した感じがありました。


そこから花屋で自然を伝えること、
花を売ることよりも伝えることを軸にやってきました。


-清野さんが社会的メッセージを持つようになったのには
何かきっかけがありましたか?


それが、思い当たることがないんです。
たぶん家庭環境は関係なくて、
生まれたときからそういう感覚があるというほうが
しっくりきます。


小さいときから憧れる人たちが
ボブ・マーリーやチェ・ゲバラといった
革命家が多かったです。
小学生の頃の夢は革命家だったくらい。


みんなに前を見てほしかったから、
ボブ・マーリーは治安が悪い中でも歌っていましたよね。
そうゆう人たちにとにかく憧れが強くて。


-自らいろいろ調べていたんですね。


そうですね。
チェ・ゲバラやカストロの映画を観たりもしていました。
そうゆう時代の人たちが、
先導して何かを伝え歩くということに
ものすごく憧れていて、
自分もそうゆうことをやらないと、
というか、みんながそう思っているものだと。


でも違いました(笑)。
だから学校にはなじめなかったところがあります。
いわゆる男の子の遊びにもなじめなくて、
だから、当時は音楽しかなかったんです。


-それは、ショックというか、びっくりというか……。


はい、すごいショックでした。
さらに、音楽をしていて一番のショックだったのは、
「え!?みんなアイディアないの?」っていうことでした。


全員が自分の音楽をやりたくて音楽をやっていたと思っていたので、
「(清野)光と一緒にやれたらいいよ」って言われて、
こんなに他力なんだって……。


でも、タワーレコードとかでCDも出していたので、
「もうやるしかない!」と思って。
だから、メンバー全員に『他力』っていうタイトルの本を買ったんです。
「これ読んでみんなで頑張ろうぜ」って。
もうまとめ方がわからない状態ですよね(笑)。


-多くの人が他力というか、
伝えたいことを持っていないことがわかって
どう向き合ってきたんですか?


当時は、自分のことさえもよくわからない状況の中で、
他人を責める方法しか知らなかったです。


だから、ただ吠えている犬みたいになっていました(笑)。
きゃんきゃんきゃんきゃん言って終わり。
その後ひとりで泣くっていう……。

-そんな状況で精神状態は保てていましたか?


しっかり1年間、引きこもりました。
当時は、ポジティブな人と会うような生活をしていなかったので、
ネガティブな思考しか働いていないから
何をしてもいい方向にはいかず、
それで引きこもることになっちゃって。


社会に認められてないことがわかってしまったので、
引きこもっている時期は、
「自分とは何か?」みたいな、
アイデンティティについて考えていました。


その中で、世界中に感謝したい気持ちが出てきて、
賃貸の部屋の中でコンクリートの電信柱を作る
練習を始めたんです。


1個目は失敗してぐちゃぐちゃになって、
2個目は筒を作ってみたらちゃんとしたポールができて、
3個目は金づちを叩くと空気が抜けていくとか、
技術的なことを試してみたりして。


前半はここまで!
この続きは11/15公開です。

※インタビュー中の写真は
個展で披露された清野さん作品
『象徴の化石』です。




-コラボレートパートナー

HIKARU SEINO
@hikaruseino_hananingenofficial


国内外で活動する
フラワーアーティスト。
『GANON FLORIST』を主宰し、
『HANANINGEN』など、
作品を通して、
平和、自然との共存などを伝えている。
同時に、フラワーアーティストを
育成する活動も行う。
今回の撮影ではフォトグラファーも務めた。




-撮影スタッフ-

hair&make up artist/CHIHIRO KODAIRA


contents manager/SEIKO KIGAWA
@seiko.kigawa



producer/MEGUMI
@megumi1818